さざなみ
2022.10.10
2022.10.10
家にまっすぐ帰るのが嫌で、特に目的もなく立ち寄った駅ビルの吹き抜け部分には簡易なステージができていた。
ざわざわと人が集まり、今から音楽の催しがある、とポスターが貼られている。
金曜日の夕方のクラシックコンサート。
先頭の座席に座る銀髪のマダムが、始まるのを今か今かと待っている。
クラシックの知識は全くないし、
のだめカンタービレにハマってさえ、劇中の音楽がどんなものなのか調べてみることもなかった私。
小学生の頃に学校単位で連れて行かれた、
ホールでのクラシックコンサートが、眠気との戦いだったので、そのまま苦手意識が残ってしまっている。
時間をつぶすのに生の音楽を聞くのもいいかもしれない。
楽しむつもりになれない休日前の夜が、
音楽を聴けば素晴らしいものになるような気になった。
手近なカフェでパウンドケーキをたのんで、カウンターに座る。
ぼんやりとしていると、スロウなテンポで、ゆったりとした音が聴こえてくる。
雑踏の中で、荘厳で暗い音楽が始まる。
女子大生たちの楽しそうな笑い声、今から飲みに行く店を相談するサラリーマンたちが通り過ぎていく。
いつかのドラマで、
プロを目指すカルテットが、郊外のイオンで楽器を弾いているシーンがあった。
私はそのドラマがすきで、当時何度も同じシーンを見たから覚えている。
観客とも呼べない数人の前で楽器を構えて4人それぞれが一つの音楽を作る。
クラシックをだれも聞いていなくて、唯一反応があったのはドラクエのテーマ。
通りすがりの中学生の男子が嬉しそうに立ち止まる。
それがどれくらい理不尽なことなのか、悔しいことなのか、私には想像するしか出来ない。
本当なら、然るべき場所で、きちんとしたクラシックを演奏するのが登場人物たちの夢なのに。
今ここで音楽を作っている人たちも、そのドラマの登場人物たちのように、一流になれない人たちなのだろうかと考える。
そのままでは外を歩くのが憚られるような、演奏用の鮮やかなドレスを着て、真剣な表情で楽器を演奏する人たち。
この人たちはどこを目指して、今ここで演奏しているのだろうと思う。
誰の背景も知らないまま、ただ音楽が通り過ぎていく。
イヤホンで音楽を聴きながら歩く人たちには、今日ここでコンサートがあることさえ知らないままかもしれない。
一般のコンサート向けなのか、わりと短いスパンで音楽が終わると、パラパラと拍手が聞こえる。
おざなりで、義務的な、音の粒。
感動、というより、一応お義理で、という言葉がしっくりきた。
誰かが音楽についての解説を簡単に入れ、
流れ作業のように次の曲へ、次の曲へと、
急かされるように移り変わっていく。
余韻を感じる間もないのが切なかった。
わたしの後ろの席では、
「うちのお店で買ったものなら食べていただけますから」
そう言われた女の子が、店員に首を振り、
音楽を聴かないままその場を離れようとしている。
外のカウンターだから別店舗のものを持ち込んでもいいと思ったのだろう、注意されたことにふてくされたような表情が見えた。
次に演奏されたのはG線上のアリアで、
これくらいは知ってる、と思っていたらコンサートが終わった。
挨拶もそこそこに、その場を離れる人の群れ。
壇上でお辞儀をする面々。
最初に見たマダムが、最後まで席に残っているのが見える。
わたしには音楽の良し悪しはわからない。
でも、音楽のある時間が少し憂鬱でなくなったのは、確かだ。
パウンドケーキを食べ終えて席を離れる。
憂鬱な金曜日の夜は変わらないけれど、なにかすきなものでも買って帰ろう、と思った。