はじめて絵を買った六月のこと | アートの街を目指すWebマガジンOur art JAPAN | 身近なアーティストの動画と記事を掲載しています

はじめて絵を買った六月のこと

2022.11.28

ホーム » コラム » はじめて絵を買った六月のこと

家にお気に入りの絵を飾れたら素敵だなと思う。

できればインテリアに合わせて、季節に合わせて、気分によって、そんな風に好きな作品を飾ることができたら、きっと心が上向きになることだろう。

けれども、お気に入りの作品と出会ってもなかなか手に入れることは難しい。

飾る場所の問題もあるけれど、数万円、ときには数十万円の作品を購入するには清水の舞台から飛び降りるような決断が必要だ。

アートとお金。

それはアートと生活の問題でもある。

作品を購入する側は、完成した作品とその価格しか知らないことがほとんどだ。

作品を作るためにアーティストが費やしてきた制作時間、貴重な画材、展示場所を貸してくれるギャラリーへのマージン、宣伝にかけた手間や時間。

勉強を積み重ねてきた時間。

その作品を生み出すために身につけてきた技術や感性。

そうした見えない時間やお金の膨大なコストにまで目を向けられる人は少ないように思う。

唯一無二の作品を、無から有を生み出すということは生半可なことではないはずだ。

それでも、目の前の結果しか見えない人にとって、まるでいとも簡単に作品が出来上がっているかのように感じられることもあるらしい。

絵がとても上手く、漫画を描いて収入を得ている友人から聞いたことがある。

「絵が描けるんだって? じゃあ簡単でいいからささっと描いてくれない?」

絵が描けない人から見たら、彼女は何も悩まず「簡単にささっと」絵が描ける人に見えるのだろう。

でも、本当にそうだろうか?

まず、テーマをどうするか考え、必要な資料を集め、構図を考えるだろう。

そして、下書きをして、着色をする。あるいはもっと別の工程があるかもしれない。

他の仕事や日々の生活をしながら、制作に充てる時間を捻出しなければならないはずだ。

それを可能にしているのは、彼女のこれまでの努力にほかならない。

そうして、見えないところで時間と技術を費やした末に、作品が生まれている。

しかし、中には制作費を伝えると「友達なのにお金取るの?」と悪気なく言われてしまうこともあるらしい。

もちろん、依頼者と作家の人間関係で友達価格が成り立つ場合もあるだろうし、何かのお祝いでアーティストが作品をプレゼントするために制作することだってある。

でも、依頼者からの「友達だから」という甘えは、作家側の善意を踏みにじってはいないだろうか?

むしろ「友達だから」こそ、友人の才能と努力をリスペクトすべきではないだろうか?

私はこの話を聞いて、大いに考えさせられた。

絵だけではない。例えば、楽器を演奏することだって、ダンスのパフォーマンスをすることだって、一朝一夕で得られない努力のプロセスを知って、敬意を払い、心を震わせたい。

そのためにも、きちんと適正価格がアーティストに支払われることはもちろん、できれば真摯な感想も伝えられたら良いなと思う。

若いアーティストの方と話していると、作家活動だけで食べていくことはなかなか大変だという話もよく耳にする。

作品に一見高価な値段がついていても、経費やギャラリーへのマージンを差し引くと、作家の手元に残るお金は意外と少ないという話も聞く。

作家活動をしながら、他の仕事を掛け持ちして二足の草鞋で成り立たせている人も少なくない。

そうして作家活動を続けている人もいる一方で、経済的な事情や取り巻く環境の変化によって制作から離れなければならない人もいる。

いつか欲しい、お金が貯まったら買おう。そう思っているうちにアーティストが活動をやめてしまったらそれきり作品は手に入らなくなる。

20代の終わりの頃、或る2枚の絵を買ったことがある。

深い深い海の底のような、マチエールの魅力に溢れた作品だった。

その作家さんは病に侵されていて、もしかしたら最後の個展になるかもしれないと覚悟していた。

作家さんの地元で開かれたその個展には、連日たくさんの知人やお弟子さんたちが訪れ、文字通り飛ぶように作品が売れていく。

個展の最終日、私は思い切って気になっていた2点の絵画を購入した。

私にとっては決して安い買い物ではない。けれども、いま私の手元に置かなければ、二度とこの作品に出会えなくなってしまうような気がしていたから。

その予感は的中し、地元での個展が、彼の生涯最後の展覧会となってしまった。

作品と出会える機会が失われてしまうこともある。そのことを、このときようやく実感した。

目の前の作品と出会えていること、世界にたった一つのその作品がいまここにあることは、まったくの偶然で、限りなく奇跡に近い出会いだ。

できることならば、お金や、飾る場所などの現実的な事情を抜きにして、いいと思ったものを自由に手に入れたいと思う。

たとえ、難しい意味がわからなくても、そばに置いていて心があたたかくなるもの、見ていて心地よさを感じられるもの、なぜだか心が揺り動かされるもの。

もっと身近に、自由にアートを楽しめるようになったらいいなと願う。

当たり前に好きな作品を買い、飾るという文化的な土壌が根ざしていたら、アートのまわりの経済ももう少し回り始めるだろう。

買う側の経済的な事情もあるけれど、生活必需品を買うためだけではなく、心がゆたかになるようなお金の使いかただってもっと自由に選べるようになればいい。

そして、本当に心から欲しいと願う作品を、適正な価格で購入でき、買う側も作る側もゆるやかに永く持続していけるような関係性でありたいと思う。