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#001 志賀龍太 画家

2022.09.07

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〝夢中になること〟を表現する

部屋に一歩入り、まず目に入ってきたその絵を見て、圧倒された。

こんなサイズの作品だったのか、と思う。

Instagramの画像を見て、知ったような気になっていたことが恥ずかしかった。

サイズの大小でこんなにもイメージが変わるのか、と驚きとともに大きさの迫力に純粋に感動する。

「夢中」

とタイトルのついたその絵は、

塗り込められた暗い背景に、

女の子とも男の子ともとれる人物がキラキラと淡く発光しながら浮かんでいる。

少し濃度のあるとろんとした黒い夜の海に、

とぷん、

と浸かる音が聞こえるような優しい絵だな。

それが初めて見た時の感想だった。

沈んでいるのに、悲しさはない。

当人は状況を理解していないような、不思議な雰囲気の絵だ。

「夢中になっているときって、

集中していて一瞬自分がどこにいるかわからなくなる。

でもものすごく楽しくて、そういうのを表したくて。」

沈んでいるのか浮かんでいるのかさえわからない。

だけど夢中になっているその瞬間が、

あまりにも嬉しくて楽しくて、

周りを気にしないうちにあっという間に時間が経ってしまう。

のめり込む、その瞬間を切り取って表現したものだという。

私にも覚えがある。

好きな小説を電車で読んでいて、いつのまにか降りる駅を数駅通り過ぎている。

読み始める前は、没頭しないよう気をつけないと、と思うのに、世界に入ってしまうとその思考はどこかへ行っている。

すきな世界に行ってしまえること、その世界を自分が持っていること、それは楽しくて、とても尊い。

すきなものに向き合うと、周りの声も状況も一切入らなくなる。

それは、とても楽しい世界だ。

現物を見て吸収する

Instagramなどで、たくさんのクリエイターの作品が見られる機会が増えた。

でも、絵の具の掠れ具合や、絵の中の人・作者の息づかいは現物でしか感じられない。

すきな絵の前で立ち止まり、できる限りの情報をインプットするために目を皿にして、記憶できるわけもないのに飽きるまでその作品を眺めてしまう。

脳みそが情報を処理するために動いているのか、そういう日はすごく疲れる。

でも、自分の中の細胞が少し変わったような感覚がある。

だからいろんなものを目で見るのがすきだ。

〝描く人〟でいるために、二足の草鞋を履く

「アーティストとか、

作品をアートと呼ばれることは、

本当は好きじゃないんです。

僕はただ、絵を描く人なので。

いいものを作って、それを売りはじめると、

だんだん、ビジネスマンになってしまう。

そうすると、

いつか、作り手じゃなくなってしまう気がします。」

生きるためにはお金がかかる。

芸術に携わる人たちは、食べていくために、自分の作りたいものから、自分が作れて需要のあるものの制作へとシフトしていく。

世の中の人に受けるものを作り、売る。

売れれば、もっと自分の絵が描いていられる。

自分以外の、誰かの視点を意識すること。

商業的アーティストになって売れれば、確かにその芸術だけで生きてはいけるかもしれない。

作りたいものを作って、それで潤沢に生活を回せている人はほんの一握りだ。

絵を描く人。

純粋に描きたいと思うものを描く人。

そういう自分であり続けるために、曲げない部分として、仕事は絵を続ける上で必要なものとして分けて考えるようにした、という。

意外にも、絵以外のルーティンが生活のリズムを作り、メリハリが生まれている。

周りの理解や環境も大きいが、それはやりたいことをやろうとする素直な姿勢に周りが共鳴したからなのだと思う。

笑顔がとても清らかで純粋で、毎日がたのしいんだな、と話している私も嬉しくなった。

実際見たモノの色と素材感、すぐそこにいる感覚を味わう

白い壁に絵が並ぶ作業部屋では、

親指でスクロールして見たものとはイメージが違うものばかりだ。

鮮やかな赤、紺、緑。

普段意識していないからこそ、絵を通して見る色はとても鮮明に見える。

油絵具の裏側のキャンバス地の素材感。

キャンバスの厚みでできる照明の影が、様々な表情を生み出すことは忘れがちだ。

全て、手のひらの中では分からないこと。

凹凸のないシンプルな目と鼻と口。

やわらかく可愛いテイストの絵なので、

てっきりファンタジー路線かと思いきや、

題材はあくまで日常が軸だと聞いて、

認識を改めて見てみる。

夫婦喧嘩のあとの少しクスッとするシーンであったり、電球を替える場面、風を切る自転車、寂しい夜の2人の会話が聞こえそうなカット。

ふと我に返ると、小さな顔が絵の向こうからこちらを見て笑っているような気がする。

疑問を持つ、解釈する、すききらい、心を動かす

どうしてこの絵はこのタイトルなのか?

この絵は悲しそうに見える、嬉しそうに見える…。

作り手側と見る側、

互いの意思が共鳴するときの感動は大きい。

でも、正反対の意見や、別の解釈が一人歩きする場合もある。

感覚が違うのが当たり前なのだから、

すきもきらいも、自分が感じるままが正しい。

だからこそ、これがすきだ、これがきらいだという意見は、貴重なものだ。

手のひらの中の画面では、絵の具は塗りこめられて盛り上がっていない。

絵の具の匂いもしない。

画面の中で一部が切り取られ、すました顔でこちらを見ている。

それはよそ行きの顔だ。

すきだ、と思ったものが本当に思う通りのものなのか、

それとも違うのか。

自分の足を動かして、心が動く感覚をどうか味わってほしい。

心が動くことは人間である証だから。

インタビュー

ー自己紹介をお願いします。

志賀龍太と申します。

34歳、愛知県生まれで、今は岐阜に住んでいて、9年ぐらい前から独学で絵をずっと描いております。

ーどういうものを軸にして、作品を作られていますか?

日常をテーマにしていて、お散歩をした日々の景色だったり、仕事中の景色だったり。

キッチンで料理を作っている景色…、そういったものをもとに、僕は絵を描いています。

ー表現手法・画材について、基本的にどういうものを使っていますか?

基本的には、油絵を使っていて、人物の目の部分だけ鉛筆で描いています。

少しやわらかい目や、表情を作りやすいので、そこだけ鉛筆で書くようになりました。

ー印象的な〝顔〟は、どこからの発想ですか?

元々の顔の絵は、この顔(目鼻口の多少表情のあるシンプルな顔)から、この顔(目は丸、口は一本線)になって、現在の顔に変わっていきました。

僕自身が、死生観で悩んでいた時に、結局分かったのはシンプルさ、ということがわかったんですね。

その時に、どんどん削ぎ落ちていったときに

顔って分かればいいや、となって、結論的に。

点だけで顔って分かるし、丸だけで手って分かるし、別に大人とか子どもとかそういうのじゃなくても、子どもを描いてるように見えて、別に人間だし。

なんかすごくみんなこう、ごちゃごちゃいろんなものが入りすぎてるな、僕は入りすぎていたなと思って。

色んなものをすごい消して消してやったら、点に変わった。

描いてるうちに点になっていったって感じですかね、顔が。

やっぱり、人物はどうしても描きたくて。

人が好きなのと、物語性が絵の中にある方がすきなので。

点であっても、笑ってる怒ってるが出せるというのが分かって、現在の顔になりました。

ー今後の志賀さんのイメージ、将来の目標について教えてください。

一応仕事は今のところは早朝の仕事はずっとやろうと思っています。

絵に支障がなければ、生活のリズムになっているので。

そこから絵のアイデアも生まれていて、僕にとってすごい必要なものです。

専属画家が別にこの世ですごいことではないし、芸術性というものに関して、そこは正直、絵で食べてる食べてないは関係ないと思っています。

定年までやったとして、65歳の時に、この場所をギャラリーにして、アトリエを別で作るかして、自分の個展・自分の場所を作ってやっていくみたいな。

現在のこの場所は、岐阜という少し田舎の土地ですが、ここに東京や大阪の人が来てもらえるように、今頑張っていろんなところで活動しているところです。

ーどうすればもっと、アートが広まると思いますか?

よく思うのは、「アートは難しい」っていう人が、すごく多いと思うんです。

「ちょっと僕は芸術とかが分からない」という人の分母がとても増えている理由は、アーティスト側の責任だと思っています。おもしろくできてない理由は。

だから、もっといいものを作ったり、誰かが、

「わぁ、素敵だね」って思うものを作っていけば、広がっていく気がします。

それが、1人ずつが増えていけば、少しずつ少しずつ、変わっていくんじゃないかなと思います。

ー今後の活動予定について教えてください。

2022年の11月10日(木)から11月13日(日)で、東京・渋谷で新しくアートヴィラというスペースができます。

そちらで展示をさせていただきます。他にも京都や、東京では常設もあるので、どこかでみなさまにお会いできれば嬉しく思います。