#005 長嶋芙蓉 水墨画家
2022.11.17
2022.11.17
「ゆっくり描くようにするんですが、もし速かったら言ってくださいね」
事前に聞いてはいたものの、思っていたよりもずっと速く白い紙が染められていく様子に驚いてしまう。
筆をもつ腕に、迷いは見えない。
真っ白い画用紙を前にした子どものような気軽さで描いていく様子を見ているうちに、事前に抱いていた水墨画へのイメージはとけていった。
「いろんなことを、『やりたい!』と思ってやっているうちに、流れに身を任せていたらここにたどり着きました」と、何でもない様子で言う芙蓉さん。
水墨画も、自分の意志で選んではじめたものではない。
師匠と出会い、その人柄に惹かれて文通をしているうちに、展覧会に招かれていったところ、気付けば水墨画パフォーマンスチームの一員として発表されていたという。
そんな状況も受け入れられる心の自由さが、作品から感じられるやわらかさになって表れているのかもしれない。
「写真のように見たままを描くなら、描く必要はないかなと思っています」
水墨画を描くときに大切にしているのは、エネルギー。
うれしい。悲しい。疲れた。ああ、ビール飲みたいな。
目には見えないけれど、確かにある“気持ち”。
習慣になっているランニングで感じたものを持ち帰り、忘れないようにメモをして残す。
作品には気持ちが揺さぶられたところを表現して、映し出す。
「文字にするとか、動画に残すとか、表現の仕方が違うけれど、表現したい気持ちはみんなもっていると思うんです。私の場合は一番合う表現が、水墨画というだけで」
描く様子を見せていただきながら会話をしているうちに、芙蓉さんの手元の作品はどんどん筆が加えられ、華やかさを増していく。
そもそも、水墨画を描く最中に話しかけても大丈夫だなんて想像もしていなかった。集中して描くものだろうから、作品が仕上がるまでは、邪魔にならないよう息を詰めていようと思ってきたのに。
「これは、家にあった空き瓶。これは、100円ショップでも買えます。家にあるものや簡単に手に入る道具でもすぐに水墨画を始められますよ」
水墨画は、道具選びも技術の一つ。だから、どんな道具を使っているかを明かさない場合も多いという。そんな世界に身を置きながら、気軽で、飾らず、どこまでも自由な人だ。
作品づくりの様子を見るほど、話を聞けば聞くほどに、こちらの気持ちまで寛いでいく感じがした。
はい、長嶋芙蓉と申します。墨を中心とした絵を描いています。
仕事で今の師匠のところに行く機会がありまして、そこで今の師匠にお会いしたら「もう少しこの方とお話がしたいな」なんて思って文通していたんですよ。
そんな中たまたまその先生の教室にお伺いする機会があったのですが、伺った日が女の子5人くらいでやっていた水墨画パフォーマンスをするチームの結成日だったんです。
私はそれを知らずに呼ばれていて、やるとかやらないとかじゃなく、もうやることになっていたという。女の子が集まっていて、「皆さんこれでやりまーす!これがメンバーです!」みたいな感じで何の説明も聞いておらず、おう、と。(笑)
結果的に水墨画を始めることになりました。
自分の中で最近ブームになっているもので、私は『ご縁の花』と呼んでいます。人と人とをつなぐご縁のようなもの。
少し前にお仕事で、ワサビとソバの花を描かせていただいたんですが、そこからその2つの花がすごく面白いなと思うようになりまして。
そこから派生して自分のインスピレーションを湧き立ててくれるような存在です。
生命力をすごく大事にしています。
例えば枯れている花と、すごく生き生きしている花が一緒に咲いていることってあるじゃないですか。それって、枯れている花があるからこっちの花が綺麗に咲ける訳で。
それって人も一緒だよねって思うんです。衰退していくものがあるから、繁栄していくものがあるし。
そういうものを見て、自分の心が揺さぶられたところを可視化するようにしています。見たものをキャッチして、それを自分の中を通して外へ出す。
そんな風に、写真で伝えられないことを絵で描くと思っているんですね。
色が少ないことですね。白と黒だけの、水と墨だけでできる芸術だと思っています。
だからこそ、その中にある何色もある部分をご自身が見た色に変えてもらいたいなと思っています。
色は観る方が自分が決めればいいし、私が決めることではない。私はある程度の提案をします。でもその先の受け取り方は、それぞれ違っていいんじゃないっていう思いがあるんです。
すごく自由度が高いんじゃないかなと思って、水墨画の白と黒のアートを選んでいます。
水墨画への間口を広げる取り組みをしたいです。
水墨画に対しては、すごくクラシックなイメージをもっている方が多いです。もちろんクラシックな滝だったりとか、山水画だったりも素晴らしいと思うんですよ。伝統だからやっぱりなくしたらいけないものだと思うし。
だからこそもうちょっと間口を広げて、「私でもできるかもしれない!」って思えるような取り組みをしたいと思っています。
お子さんと一緒にできるワークショップとか、お勉強ではないものを。例えば全員白いTシャツを着て、「もう汚れる準備OK?じゃあいくよ!」って思いっきり全身汚す。その汚れたものは全部、アートのお洋服になるよっていう遊びとか。
そういうことをやると、「全然むずかしくないのにこんなにかっこいいのできちゃった!」って嬉しい体験に変わると思うんですよね。そういうやり方で、どんどん興味をもってもらえたら。
私が間口になりたいなと思っています。
はい、抽象画以外にもポートレートのようなものを描いています。
どこかの国の、どこかの街に、本当にいるかもしれない。そんな女の子たちのお話を描いたシリーズ“トレンドガール”になります。
昔、ヨーロッパを鉄道を使って巡る貧乏旅行をしたことがあります。そのときに自分が訪れた街の様子や、あのときこんな子に会いたかったなとか、あの子すごく素敵だなとか、ここでこんなものを食べたなとか。
自分の旅の思い出から、「こういう人になりたい」と思ったり、「こういう人がいるかもしれない」と想像したりするんですよ。そこから派生してきた子たちを描いています。
ストーリーにそって絵が繋がっていくんですが、ストーリーの全貌は、ご購入した方にしかお知らせしていません。
ぶっちゃけお金もすごくかかるし、精神的な負担もかなりかかる。
それでもやっているのはなぜと聞かれたら、自分の思っていることを外に出したいから。そのための方法が私にとっては墨絵で、水墨画で描くっていうのが、自分の気持ちを外に出しやすいんだと思います。
だから制作をずっと続けていられるのかな。
水墨画、楽しいよ!
水墨画は過去には、新聞紙のように生活の身近なところにあったものだそう。
「水墨画は、気持ちのはけ口にも使えますよ。口には出せないネガティブなことも、描くなら誰にも迷惑はかけませんから」と芙蓉さんは言い添えた。
白と黒という限られた中で、無数の色を選べるアート。
その自由度の高さを知っているからこそ、もっと多くの人が水墨画を知って、実際に触れてほしいと願っているんだろう。
水墨画なんて高尚で、ハードルが高く、難しくて取っつきにくい。
多くの人が自分には遠い存在だと感じているのを払拭したい思いが、難しい技法の名前には触れず、身近な道具で始められる墨アートのワークショップなどに反映されている。
まずは楽しんでほしい。そのための間口になりたい。
そう願う芙蓉さんをきっかけに水墨画の世界を覗いてみると、新たな気付きや発見があるかもしれない。
再び人々が気軽に手にするものになっていったら面白い。